園長先生のコラム

♪ コラム 【 2011年7月号 】 こわいゲーム依存

先日、京都の聖三一幼稚園の園長時代、とても親しかった教育委員会の課長さんも今春の人事異動で区長さんになりました。
僕の津への転任のご報告もかねて表敬訪問してきました。
そこで話題になったのは、やはり教育現場のことだったのでした。
特に「気になる子」や「特別に支援を必要となる子ども」のことでした。
僕は日本の中で京都が教育にかけては最も先進都市ではないかと以前から考えていました。
区長さんのお話を聞いて、ますますその思いになったような気がします。
そして、しばらく懇談の時を設けることができて本当に有意義な時間をもつことができました。
 お話の中で、「携帯用のゲーム機器の危険性」について皆さまにぜひ気にかけていただきたいと思います。
子どもたちの特に男の子の人気テレビ番組では悪役と正義の味方の戦いのアニメがおおいですね。
そして実写版といえば、なぜか撮影場所は工事現場や資材置き場ですね。
いつごろからかそう「仮面ライダー」や「ウルトラマン」の頃からと思えます。
 そしてゲームといえば戦いで色々な相手を倒して武器を得てポイントを獲得してゆくのが多いですね。
昔テレビを使って「ファミリーコンピューター」略して「ファミコン」時代はよかったですね。家族で楽しむ何かまだほのぼのしたゲームソフトがありました。
 区長さんの「近頃電車の中で、子どもたちが外を見ないこと知ってます?」
という言葉にはっとしました。そういえば昔子どもたちは電車に乗ったとき、窓ガラスに顔を押し付けて外を見ていました。
今の子どもたちは携帯ゲームに夢中になっています。
ボーイスカウトのキャンプにさえ持ってきて夢中になっているそうです。
 自然の美しさや季節の移り変わりに感動する心はどこに行ってしまったのでしょうか。画面に映る架空映像に全神経を集中することに夢中となっている姿は恐ろしくさえ思われます。
中学生や高校生は、いや最近は大学生や大人まで他の音を遮断しイヤホーンで音楽を大音量で聞きながら、ゲームやメール、インターネットを小さな画面を通して限られた世界の中での情報交換に没頭しているように見えます。
 テレビは時間を限ることができますが、携帯のゲーム機器は自分の部屋で果ては布団の中でも使用できます。画面に集中するあまりついにはゲームをしていないと欲求不満になってしまうというのはもう依存症です。
研究者によれば依存性を高めるのは、画面が小さいほどなるそうです。
「ゲームさせとけば機嫌がいいから」では、子育てとは言えません。
約束事を守れない大人、自分の世界しかなく、他人と普通にコミニュケーションが取れない大人にしたくないですね。
子どもたちには自然を愛する大らかな大人になってほしいと思います。

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・・ 今月のみ言葉 ・・

「 主はあなたを見守る方 」 
新共同訳聖書 詩編121編 5節

ユダヤ教の祭司が祈りに使った詞と思われます。神さまがいつも私たちを見守ってくださっていることを強調したい現れなのか、121篇の8節の中に6回も「見守る」という言葉が繰り返し出てきます。ちなみに園児たちは、
新改訳聖書で聖句を覚えています。新改訳聖書の訳では「見守る」ではなく、「守る」となっています。いずれにしてもどんなに私たちが神さまから離れてしまっても、悔い改めて神さまに立ち返るならば神さまは決して、見捨てはしないということなのでしょうね。

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