1980年4月聖公会指定神学校のウイリアムス神学館を卒業後44年誤った言動を赦していただき足りないところを神さま自らが補ってくださったこと感謝でいっぱいです。
振り返れば幼稚園でいっぱい聖書のお話を聞き小学生になり日曜学校が楽しくて友達を沢山教会に誘いました。夏休みの「信徒子弟キャンプ」が楽しみでした。
校区という地域が限定される世界しか知らなかった自分が教会というグローバルな世界にワクワクしました。
高校生のとき「永遠の命って何?」と牧師に尋ねたところ「ちょうど今大斎節だから勉強しましょう。」と学校では学べない聖書のお話、イエスさまの教えを学び、1970年のイースターに洗礼を受けました。
退職に伴う転居の準備をしている妻が僕の幼稚園から高校時代までの成績表や作文を見つけました。
それぞれの担任の先生のご努力に敬意を持たざるを得ません。読み返し我ながら赤面してしまいます。
幼いころから胃腸をはじめ身体が弱いにも拘らず短気で辛抱するのが苦手な性格ですからおよそ牧師に向いている人間ではなかったと思います。高校時代国語の先生に「あなたは粗野な人間ですね」と言われたことがあります。「どこが粗野なのですか」というと「そういうところです」と返されました。
日本では聖職というのは実は職業ではなく生き方なのではないかと近頃思えてきました。具体的に「このような牧師になりたい」と思いながらなれないで居る自分だったように思います。そんな自分が44年間もの長い間聖職であり続けて両親はじめ家族と数十人の方々が洗礼を受ける恵みを賜りました。
悲しくも恵み豊かな思い出もあります。死に逝く方々と病室で或いはホスピス病棟や自宅で祈った日々が一人ひとり違った別れがありました。
故ラインホールド・ニーバー(アメリカの神学者)の祈りと言われている後半部言葉をもってすべてのことに感謝します。
「あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。アーメン」
聖ヤコブ幼稚園を卒園される皆さんそして進級される皆さんに神さまのお守りがありますように、また聖ヤコブ幼稚園の益々のご発展お祈り申し上げます。