園長先生のコラム

コラム 【 2023年6月号 】 「 聖霊なる神さまお話Ⅱ 」

 キリスト教会の暦では今年の5月28日がペンテコステの日〈聖霊降臨日〉と呼ばれているキリスト教会の三大祝日(他はイースターとクリスマス)のひとつと数えられている大切な日を迎えています。

 復活したイエスさまが40日の間お弟子さんたちと過ごし、「聖霊が降ると地の果てまでわたしの証人となる」といわれ弟子たちの見ている前で天に昇られその10日後、マッテヤを弟子に加え12使徒一同がひとつになって集まって祈っていました。このとき何が彼らに起こったのか詳しく知ることは今のわたしたちには出来ません。でもこの日が教会にとって、とても大切な日であることは確かです。ところで「ペンテコステの日」を一般的に「聖霊降臨日」と言う言葉で使われますが、「聖霊」がこの日はじめて生まれたかのような印象を受けてしまうので気をつけたいと思います。

 聖霊は初代教会を支配する実在の原動力となっていきました。聖霊は神さまの指導力の源泉でした。そして初代教会の指導者たちは聖霊に満ち溢れた人々でありました。聖霊のうちに生きていたといってもいいでしょう。聖霊はその日迫害の中にあってさえも勇気と力の源であったのでないでしょうか。そして、また聖霊は「神が御自分に従う人々にお与えになる」(使5:32)との
記述があります。つまり大切なことは聖霊が与えられる度合いは人がいかなる人間であるかよって決められるということです。誠実に、神さまのみ心を行おうと努力している人、キリストに従う人生を生きようとする人にますます聖霊が降るということなのでしょう。

 僕は44年前パプアニューギニアのポポンデッタ州マナウ村に日本キリスト教協議会と日本聖公会の共催のパプアニューギニアプロジェクトのワークキャンプに参加いたしました。
命に係わるほどの過酷なキャンプでした。当時26歳の青年でしたので生きて帰れましたが今だったらほんの数日で死んでいたかも知れません。体力消耗と栄養不足から2ヶ月で10キロ以上痩せて帰ってきました。それまで聖霊なる神が概念的にしか理解できなかった僕は現地で聖霊なる神さまから直接大きな恵みを受けました。雨乞いをしてやっと降った恵みの雨が本当に飲料水となり、また迷い込んだ野ブタがごちそうの夕食になったりするのです。
 
 このパプアニューギニアでの忘れ得ぬ思い出こそが聖霊の働きの具現化でした。出来上がったミッションハウス(人生で初めて設計図からすべて手作業で作った建築物でした)を見ながら現地の牧師が僕の肩に手をかけて「これが聖霊の働きなんだよ。聖霊自らが働いて建てたのだよ」と涙ぐんでいました。僕もわけもわからず泣いていました。聖霊が自ら働く力を見たからだと思います。聖霊なる神さまこそ今も教会やその他の事業を直接守り導いてくださる神さまだと確信しました。

 その後神学校を卒業して聖職試験を受け執事、司祭となり長く勤めているうちにあの素晴らしい経験を忘れていきました。この世のいろいろな誘惑に負け傲慢になりそして病気にもなり聖職としての召命感が薄れ始めた頃いっしょにパプアニューギニアに行った沖縄のTさんを訪ねる機会が与えられました。彼曰く「どうした門脇さんあの時の感動忘れたのか」と励まされました。

 その後少しづつ元気を取り戻したのはきっと聖霊自らが僕を元気にしてくれたのだと思います。和歌山県橋本市にある橋本基督教会の再建に向けて全力を傾けるようになりました。考えてみれば僕にとって大きな節目にその度に聖霊が直接降ってくれたように思えます。

 聖ヤコブ幼稚園にも愛の神さまである聖霊さまが降り続くよう祈ります。

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