園長先生のコラム

♪ コラム 【 2016年12月号 】 「 マリアの婚約者ヨセフの信仰 」

1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」
 【マタイによる福音書1章】

上記の聖句はページェント(聖劇)に出てきません。
今月の聖句でも述べましたが、婚約していた女性が自分には覚えがないのに妊娠しているようだと知ったら普通どうでしょうか。
現代の日本なら婚約は即刻解消場合によっては損害賠償問題に発展しますでしょうか。
まして当時のユダヤではモーセの律法は絶対化されている世界です。
このようなことが表ざたなった場合愛する婚約者を守りきることは本当に難しいことです。ときには生命の危機まで脅かされます。
「ひそかに縁を切ろうと決心した。」とは噂も届かないほどマリアを遠くへ行かせてシングルマザーにすることがマリアの命と生活を守ることになると考えたのでしょう。
そのように決心するまでどんなにかヨセフは苦しんだことでしょう。
聖書を読みますと時々「神さまはどうしてこんな回りくどい方法で人間にメッセージを送るのだろう」と考えてしまうことがあります。
しかしよくよく考えてみればその時人間側が理解する必要があるとは限らないわけで後になって「それにはそのことが必要だった」のだろうと分かることが多いものです。
「信仰というものは理解して信じるのではなく、信じるから理解でき得るもの」という言葉があります。
神さまが分からないから信仰が持てないのではなく、神さまを信じるから分かってくること見えてくることがたくさんあります。
マリアにみ告げがあったようにヨセフにもみ告げ(少し地味とも思える)がありました。しかも、苦しんで分かれようと決心した後です。(もっと早くしてあげてよという気もしますが)結果的には正しい人であったヨセフは、マリアをこの世のさまざまな困難と迫害から守ってゆきます。
良き夫であり良き父として聖家族を支えてゆくことになります。
具体的には生後間もない幼子イエスさまとマリアをつれてヘロデ王の迫害のためエジプトへの逃避行、その後はナイル川沿いに転々とヘロデ王が死ぬまでの数年間の放浪生活を送ったのでした。

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・・ 年主題聖句 ・・

「キリストはわたしたちの平和であります。」
~エフェソ 2章14節~

エフェソの信徒への手紙2章11節から22節は「キリストにおいて1つとなる」をテーマに書かれています。一致というのはこの書のテーマでもあります。「平和」の概念はギリシャ語ではおよそ戦争がない時期のことをいいますが平和(シャローム)は神の「真実」や「契約」などとともに用いられ「時期」よりむしろ平和な「関係」を示す語といえます。

・・ 聖句と今月のみことば ・・

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
~ルカによる福音書1章28節~

クリスマスページェントでは第1幕の「マリアへの受胎告知」の場面、大天使ガブリエルの言葉です。
突然の天使の出現とともに聖霊による受胎を告知されたマリアは何のことやらよく分からないまま最後には「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えます。結婚前いいなづけの子ではない子どもを宿した娘は死に値する刑罰がある時代です。よほどの神さまへの信仰と信頼がなければ受け入れることはできなかったに違いありません。

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