園長先生のコラム

♪ コラム 【 2012年3月号 】 お別れの3月

3月16日に、栄えある「聖ヤコブ幼稚園第100回卒園式」が行われます。
年長「黄組」の25名が大きく成長して聖ヤコブ幼稚園を巣立っていきます。
幼稚園の行事の中でこの日こそ喜ばしいことはないのですが、やはり寂しさもあります。
卒園式から3学期の終業式までの数日間「黄組」のいない幼稚園が何とも閑散としています。

長い人生の中で何度か友人と別れる日を経験しました。
その中で、もう生きて会うことは二度とないだろう3月の親友との別れ(死別は除いて)が何回かあります。

ひとつは1979年3月パプア・ニューギニアのマナウ村の親友マルコス君との別れです。2ヶ月もの間一緒にミッションハウス(公民館みたいなもの)を建設した友人でした。海岸から離れてゆく僕たちのボートを彼のカヌーがいつまでも追いかけきていました。声を限りに「さようなら」と叫んでいました。ついにサンゴ礁を出る頃かれは漕ぐのを止め、両手で顔をおおったのが見えたのが最後です。

もう一人の忘れられない親友との別れは、1960年3月のことです。僕が和歌山市のナザレ幼稚園を卒園したその日のことです。多くの卒園した仲間の中で一人だけその日にお父様の転勤で大阪に行ってしまう友人がいました。
池田さとし君です。幼稚園が終わると毎日のようにどちらかの家に行き遊んでいました。ほとんど、他の友だちの家に行った記憶はありません。幼稚園の敷地を囲っている柵の間隔が少しづつ違っていました。ですから何箇所かとおりぬけることができました。
さとし君と僕はときどき幼稚園から秘密の抜け穴(そう呼んでいました)脱走し、裏山探検にいきました。ある日、脱走のことが園長先生に知られ2人とも大目玉を受けました。近頃の子どもたちは、「遊びの親友」「勉強の親友」「クラブの親友」と親友のジャンルを使い分けているそうですが、僕は「親友」とは善いことも悪いことも一緒にするものと思っています。
(もちろん、言うまでもなく悪いことはしないのにこしたことはありません)
卒園式の日、謝恩会があったかどうか忘れました。でも、山内君と山内君のお母さん、そして僕と母とで、和歌山市駅まで、見送りに行きました。「また遊びたいけど、もう遊べないね」って言ったのを覚えています。
ホームを出て行く「難波行急行」の流線型の車両がやけにかっこ良かった。最後は少し涙で滲んでよく見えなくなりました。母と山内君のお母さんは、泣いていました。僕は人前で泣くのはカッコ悪いと思ってがまんしていました。涙は我慢してると、鼻水になって垂れてきました。その後、やはり予想していた通り彼とは一度も会えませんでした。
でもさとし君の少したれ目で笑ったときの優しい顔は今でも忘れません。
卒園してから、後でまた「抜け穴」に行きました。
でもどうしても通り抜けられませんでした。
自分もみんなも大きくなったのを感じました。

 黄組さんご卒園おめでとうございます。「ずっと友だち思い出大切に」

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「 いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。 」
新改訳聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ13章13節

コリントの信徒への手紙 Ⅰの13章全体を「愛の賛歌」と言われ新約聖書の中でとても有名な箇所です。その中で、パウロがこの世で一番大切なものは、信仰と希望と愛、その中でも一番は愛です。
言い切っているのです。

キリスト教では、この信仰、希望、愛を三元徳と呼んでいます。この聖句を建学の精神にしているミッション・スクールが多くあります。聖ヤコブ幼稚園とつながりある京都の平安女学院もその一つです。

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