園長先生のコラム

コラム 【 2021年7月号 】 「 水は大切です 」

 今年の梅雨はどっと振ったり晴れが続いたりで体調を壊す人が多いようです。恵の雨なのですが、毎日続くとうっとうしくなるのも事実です。日本では降雨総量の3%の水しか利用しないで残りの97%が直接大地にまた山や平地に降って川となり海へとかえって行くそうです。ダムを造って工業用水や農業用水、生活用水(飲料、風呂、洗濯)のすべて入れてもその3%の中で使われているそうです。

 それに対してイエスさまの生活されていたユダヤの地方ではその逆みたいで降った雨の97%が利用されると言われています。3%が地中に浸透や蒸発だそうです。もちろん日本に比べてユダヤ地方の降水量が極めて少ないのは否めません。
ことに生活用水〈飲料水〉は主に井戸〈地下水〉に頼っていたようです。

 僕は42年前、日本キリスト教協議会と日本聖公会主催で「平和の使節団」として独立して間もない(1975年独立)国パプアニューギニアに行った経験があります。
3ヶ月程ジャングルと海に囲まれたいわば陸の孤島というべき(現地の言葉ビナンデリ語では「道路」に相当する単語がない)マナウ村という小さな集落(人口は300年間300人変化なし)で「ミッションハウスの建設」のため生活を現地の人の生活そのままで経験しました。滞在した1~3月は雨季にあたるのですがその年は雨が降らず大変でした。いつもは飲料水をはじめ生活に必要な水は屋根から樋で雨水タンクに水を溜めて使うのですがその年は何故か雨の降らない日(普通毎日決まった時間にスコールと言う大雨が降ります)が多く、遂に雨水タンクが空になってしまいました。そこでカヌーで片道数時間かかるところまで毎日飲み水を汲みに行くこととなりました。それは実に危険(大きなサメがうようよ泳いでいます)で過酷な仕事でした。そして世界のどこでも、いつの時代もなぜか水汲みの仕事は女性や子どもなのです。手漕ぎのカヌーですから持ちかえられる量(入れ物は椰子の実の殻)は飲料水だけで精一杯です。もともとトイレという概念のない世界です。僕たちのトイレは大穴を掘って板を2枚渡してあるだけの簡単なものでした。用を足しても手なんか洗いません。現地の人たちは茂みで用を足します。茂みに入っていくと後から飼っているブタがついてゆきます。すっきりした顔で茂みを出てくる人の後からブタも舌舐めして出て来ます。何があったのか知りませんが想像がつきます。いつも裸同然です。大切な儀式は木の皮で造った布(キパクロス)でできた民族衣装です。洗濯もしません。お風呂も入りません。1時間ほどジャングルを歩くと川があります。どうしても身体を洗いたいときは川に入ります。ただし川にはワニ(クロコダイルと言う人食いワニ)がいます。午後5時以降入ると命がありません。

今日も貧しい国ほど水不足は深刻な状況を生み出しています。
病気は清潔な水さえあればかなり防げます。もちろん食料の生産にも水は必要不可欠です。ところが世界のほとんどの国が水資源の豊富でない国なのです。
水資源のことを考えるだけでも日本という国が如何に恵まれているか思い知らされます。

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