園長先生のコラム

♪ コラム 【 2014年8月号 】 「 あなたがたに平和があるように 」

毎年8月になりますと「平和」ということばがいろいろなところで使われまた語られます。
おそらくは69年前の「原子爆弾の投下」という惨劇と「ポツダム宣言の受諾」「昭和天皇の肉声による初の玉音放送」など歴史的出来事を忘れないため日本人としての心の帰納的な現象なのかも知れません。

聖ヤコブ教会と幼稚園にとって100年を越える長い歴史の中でも69年前に悲しい歴史があります。
太平洋戦争も末期1945年(昭和20年)7月24日の津市内への空襲は最も激しかったといわれます。市街中心部に爆弾が投下され、死者約1200名、負傷者約2000名に達したと言われています。
この空襲で当時聖ヤコブ教会の牧師であった西田弥吉司祭が亡くなりました。今年も7月20日(日)礼拝で逝去者のためお祈りしました。
幼稚園の園児被害者がいなかったのですが教会と幼稚園は破壊されてしまいました。
このときの教会十字架が礼拝堂のベストリー(礼拝準備室)にあります。

先週、マレーシア航空のアムステルダム発クアラルンプール行き旅客機ボーイング777が7月17日夕(日本時間同日深夜)、ウクライナ東部ドネツク近くのロシア国境付近に墜落し、乗員・乗客298人が全員死亡しました。地対空ミサイルによる撃墜とみられています。
民間の航空機がミサイルによって撃墜されるという悲劇的ニュースを海外で聞かされた経験があります。
1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、旧ソビエト連邦の領空を侵犯したということで、旧ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件です。乗員乗客合わせて269人(内28人の日本人)全員が死亡しました。
当時僕はシンガポールの神学校に留学中でした。同級生に韓国の方がいて
「こんなことがあってはならない」と号泣していました。

戦争や紛争地帯での軍事行動に民間人が巻き込まれることは歴史を見たとき歴然とした事実として多々あります。
そして、いつも攻撃した側は「事故」だとか「責任はこちらにはない」など政治的解決という方向で済まされるように思えてなりません。

日本国憲法第9条の解釈ことに「集団的自衛権の行使」を閣議決定した今年の8月、わたしたちはイエスさまのみ言葉「あなたがたに平和があるように」をどのように受け取ればよいのでしょうか。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。」
新共同訳  ヨハネによる福音書20章19節

この箇所の直前の聖句は『その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。』です。
その日とはイエスさまがよみがえられた日のことです。
弟子たちは尊敬するイエスさまがあまりにあっさりと十字架刑で殺されてしまったことに失望しただけでなく、遺体がなくなっていた事実はひょっとしたらユダヤ当局かローマ兵が遺体を隠してあらぬ嫌疑をかけるつもりかも知れないと恐れていたのでしょう。
つまり「弟子たちでイエスさまが復活したと吹聴して人心を惑わしている」という噂をでっちあげて自分たちをイエスさまと同じように捕らえ殺しにやってくると恐れていたのでしょう。
ところが本当に復活したイエスさまが鍵を掛けているにも関わらず彼らの真ん中に立ったのです。
イエスさまの最初の言葉は「あなたがたに平和があるように」でした。
まさに彼らには「主の平和」が必要だったからでした。

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