園長先生のコラム

♪ コラム 【 2013年5月号 】 「 母の日 」

5月の第2日曜日は皆さんご存知の「母の日」です。
聖ヤコブ幼稚園の子どもたちも熱心にお母さんの絵を描きました。
優しいすてきなお母さんの絵ができました。

1905年5月9日アメリカはフィラデルフィアに住んでいた女の子、アンナ・ジャービスさんが母の死を経験し、生前に母を敬う機会をつくるべきと働きかけたことに由来すると聞きます。
この運動がアメリカ全土に広がって1914年当時のウイルソン大統領が5月の第2日曜を「母の日」と制定し、国民の祝日となったそうです。
アンナの母親が好きだったカーネーションを祭壇に捧げたところから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを胸につけるようになり、次第に花を贈る習慣になっていったそうです。
日本では、1915年教会で行われてから一般に少しづつ広まっていって、1937年に森永製菓が全国的に広めたと言われています。

「母を亡くした日が今までの人生で一番悲しい日だった」

京都時代に僕を慰め励ましてくれた教会の信徒の方の言葉です。
「失って初めてその大きさ、大切さを知る」とはよく言われますが、全くその通りだと思います。「マザコン」という言葉はあまり好きではありませんが、
「マザコン」と言われてもいい「もう一度あの日の戻れるなら・・・母にあんなこと言ってしまい、 ・・・ちゃんと謝りたい。もっと、母の話を聞いてあげたかった。・・・今は母の優しさを知ったこと。」
母が亡くなってもう12年もたつのに寂しさはつきません。
読書が好きになったのはもちろんいつも本を読んでいた父の影響もあるのですが、
母が頼んでもいないのに小学生の頃から、「少年少女文学全集」を毎月購読してくれました。そして、その他の全集の月購読が何年も続きました。
高校生になって「人生について」或いは「死と生について」考え始めたとき、手元には夏目漱石、志賀直哉、トルストイ、ヘッセなどたくさんのことを教えてくれる文学者の作品がありました。
母は将来の僕が何の知識を必要となるか知っていたのか、理科系志望の僕にあえて文学と出会うようにしむけていたように思えます。
川端康成の「伊豆の踊子」が教科書に載ったとき大切な箇所がカットされていることを国語の先生に真剣に抗議したのは懐かしも気恥ずかしい思い出になりました。

牧師になってずいぶん経ってから母が「光禅、お前はどっか無理してないかい」と微笑みながら言ってくれたのを覚えています。

何でもお見通しのお母さん。
いつも、身体のことを心配してくれるお母さん。

今年の「母の日」は5月12日(日)です。
皆さま方にとってすばらしい「母の日」でありますように、お祈りいたします。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」
ヨハネの手紙Ⅰ 第4章19節

旧約聖書の掟で一番大切なことは「神さまを愛すること、そして自分と同じように隣人を愛すること」です。
イエスさまの掟はさらにその隣人の定義を大きくしたものでした。
つまり、自分から見て敵と思える人、迫害をしてくる人でさえ隣人とみなして愛することです。イエスさま自身が見本となって旧約時代とは違う神さまの大きな愛が示されました。

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネによる福音書13:34

とあるようにイエスさまご自身がおっしゃったのです。
キリスト教の教えの根本となる掟となりました。

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