園長先生のコラム

コラム 【 2018年10月号 】 「 台風襲来 」

今年は特に台風が多いですね。
学校の日本歴史の中で、鎌倉幕府の時代に2度の蒙古襲来(文永の役1274年と弘安の役1281年)が台風によって救われたと習ったように思います。
ちなみに、元寇といわれ始めたのは、江戸時代になってからと言われています。
モンゴル帝国からの要求を何度もはねのけ、遂には元寇と言う形で侵略されるところを神風が吹いて、日本は守られたという逸話なのですが、実際は太平洋戦争の際に軍部と政府が協力して戦局が不利になってきたので、国威高揚のため、過剰に元寇の神風を持ち出したのではないかと思うのです。
最近の研究では、特に第1回目の文永の役に、嵐が原因で元軍と属国の高麗軍が敗退したのではなくて、指揮官の一人(劉復亨)が負傷したためと、御家人(鎌倉時代、将軍直属の家臣)たちの頑張りが大きかったと言われています。
侵略した側からいうと、対馬と壱岐で簡単に打ち破り、この分だと九州も簡単に占領できると考えていたのでしょう。
ところが、命がけで守る武士と仕方なく皇帝の命令で海の向こうの知らない国で戦う者とは気迫が違います。
思わぬ苦戦を強いられ、遂には指揮官が負傷することから、撤退を決めます。
しかし初冬の玄界灘の気象条件(元軍の撤退は旧暦10月下旬、つまり新暦11月下旬)は撤退には厳しいはず、水夫は寒波で倒れ、航海術に長けてない軍人だけでは、多くの船は難破するはずと思うわけです。弘安の役は事実、嵐が来たようなのですが、「神風が吹いて元軍は全滅しました。おしまい」ではなかったのです。嵐にも見舞われましたが、そもそも攻め入る側の計画があまりに粗雑に思います。
戦争に勝つには、補給線の維持は絶対条件(どこの国も歴史に学んでいない気がする)なのですが、元軍は文永の役から学んでいなかったようですね。一方日本側は、文永の役から急ピッチで防御と統率そして士気を高め防戦にあたったわけです。

元寇の講釈はこのくらいにして、大型の台風24号が近づきつつあります。
三重県は、過去にも大きな台風被害を何度も経験しています。
過去の教訓を最大限に生かし、自然災害を最小に努めたいと思います。
「園だより10月号」が、いつ皆さまの手元にわたるかわかりませんが、被害無く無事に今回の台風も避けられますよう願うばかりであります。

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・・ 年主題聖句 ・・

「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」
~ ヨハネの手紙Ⅰ 4章11節 ~

聖書の愛という言葉には2種類あります。「神の愛」「人間の愛」前者はアガペー(ギリシャ語)、後者をエロス(ギリシャ語)神の愛は見返りを求めない、只々一方的に与え続ける愛を指します。後者の人間の愛も決して悪い愛ではないのですが、見返りを求めてしまう人間らしさを持った愛です。だから失恋したときなど心に痛手を受けますよね。神の愛は人間の中にも存在します。わが子を思う親の愛などは見返りを求めていません。愛された子どもは人を愛することができます。私たち人間はすでに神さまから愛されているのですから、互いに愛し合うことができるはず、とヨハネは言っているのです。

・・ 聖句と今月のみことば ・・

「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」
~ 【新共同訳】コリントの信徒への手紙Ⅰ3章6節 ~

ペテロをはじめとして12使徒はエルサレムを中心に、ユダヤ人相手に伝道していました。一方、大使徒パウロ異邦人(ユダヤ人以外)に向けて、アンテオケを中心に地中海一帯の伝道活動をしていました。コリントは、当時大きな町でした。そこにもパウロが育てた教会があったのですが、教会内部に分派分裂が起こり、パウロは嘆いていたのです。「どうして人間を見て、神さまを見ないのか。教会は神さまが育てていることに気づいて欲しい」ということなのでした。

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