園長先生のコラム

コラム 【 2017年6月号 】 「 教会の誕生日 」

復活したイエスさまは、その後40日間、弟子たちに姿を見せました。
聖霊を送ることを約束し、父なる神さまのもとに帰っていかれたのです。
当時まだ教会もなく、新約聖書もなく、何を信じたらいいのか教会の組織もできていません。リーダーのペトロと11人の使徒が決まっていただけでした。
神さまがどのような方か、たとえば三位一体である神さまということも、まだはっきりとは分かっていません。それに最初の弟子は全員ユダヤ人ですから、ユダヤ教のしきたりを当然としてすべて守っていました。豚肉を食べないといった食物の規定や、割礼をするというユダヤ人としての当然の掟などです。イエスさまはこうした問題を今後どうするかについても、まったく指示することなく、天に昇ってしまいました。使徒だけは決まっていても、何もかもが分からない状態でした。
そこから、初代の教会は始まったのです。

もちろんイエスさまは、分からないまま見捨てるのでなく、ご自分の代わりに、人間に働きかけ、神さまの思いを伝え、思い出させ、実現するのを助けて下さる、聖霊という目には見えない神さまを、新たに送ってくださる。その約束をしていました。
つまり昇天、そして聖霊降臨をとおし、復活したイエスさまのもとに再び集まった弟子たちは、いちいちすべてイエスに直接指示されるのではなく、神さまの意志を探りながら、自分たちで自由にいろいろ決定する力を使いながら、自分たちで歩んでいくことが始まりました。そういう意味で、そこから教会が始まったといえるわけです。

今年の6月4日はキリスト教会の誕生日といえる、「聖霊降臨日」です。
2000年聖霊が助け導いているにしても、新しい問題が生じるたびに、人間は自分の自由な意思で自由に討論し、議論しながら、教会を運営してきました。
でも、神さまは決して、「こうしなさい」と人間のすることに口を挟んだりはいたしません。
ここにも人間の自由意志を尊重する神さまの意志が現れているのです。
「それにしてもイエスさまがもし今もいて下さったらなぁ。」とつくづく思うことがあります。そのように悩む使徒パウロに「私の恵みはあなたに十分である力は弱さの中にこそ十分に発揮される」と語りかけました。」
パウロは「大いに喜んで、自分の弱さを誇りましょう。弱いときこそ、強いからです」(IIコリ12:9)と誇り、いっそう宣教に励んだのでした。

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・・ 年主題聖句 ・・

「あなたがたは神に愛されている子どもです。」
~エフェソ 5章1節~

「天上天下唯我独尊」という言葉があります。「天に於いても地においても私という存在は独りであるがゆえに尊い存在である」という意味です。どんなに辛いとき寂しいときでさえも自分は神さまに愛されている存在、神さまの子どもとして生かされていると信じたいものです。

・・ 聖句と今月のみことば ・・

「これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。」
~詩編118編23節~

詩篇が時々、新約聖書に引用されることがあります。この聖句もそうです。
直前の22節「家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。」
役に立ちそうもない、捨てられた石が家を建てるときの基礎石となることがあります。神さまが人を使うときこのように何の役にもたたないと思っていても重要な役割が与えられることが神さまによってあたえられること、わたしたちには驚くべきことなのです。

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