園長先生のコラム

♪ コラム 【 2014年12月号 】 「 イエスさまをお迎えする 」

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
                     ~ マタイによる福音書25章40節 ~

一日が長く感じても、一年が過ぎるのは早いものですね。もう師走です。
年末が近づいてくるといつもこの聖書箇所を思い浮かべます。

大阪の釜ヶ崎や東京の山谷に生活する家や職のない人たちがいます。
暖を取るためにたくさん集めた薪に火を燃やしているその燃え上がる炎のことを思います。
寒い夜もダンボールの家と毛布1枚で過ごす。
そのような人々が全国にいます。社会の底辺と呼ばれるところで苦しみ、明日の命も保障されていません。それでも結構面白おかしく過ごしている人々もいます。そして、さまざまなキリスト教団体が、さまざまな思想のグループ等と一緒になって、貧しい人を助けています。
こんなとき、ふと考えるのです。「イエス・キリストはどこにいらっしゃるのだろう」と。手助けをする人々の働きの中にいるのは確かです。
イエスさま自身は貧しい人、罪びとのために一所懸命働きました。
ですから、少なくともおにぎりを作り、スープを配ってまわる、そうして助けられた人々がいる以上、その助け手の中にいることは確かでしょう。
イエスさまは他にはいないでしょうか?長く大阪の釜が崎で奉仕されているカトリック:フランシスコ会の本田哲郎神父がこんなふうにおっしゃっています。
「イエスさまは三角公園で食料の炊き出しをする側ではなく、空腹を抱え、列の後ろで自分も握り飯をもらえるかどうか心配しているおじさんたちのそばに一緒に並んでいると思う」
上記の聖書箇所を合わせ読んだときに、なかなか言い当てていると改めて思います。
イエスさまは握り飯をもらえるかどうか心配するおじさんの中の一人と本田神父はおっしゃいました。
困っている人の中に、イエスさまがいらっしゃるのです。だからボランティアとか奉仕するのです。
11月30日から「アドベント」イエス様をお迎えする準備の季節に入ります。
社会的に小さな人々の中にいるイエスさまを見つけすばらしいクリスマスを迎えたいと思います。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」
~新共同訳 ミカ書5章1節~

紀元前1000年頃初代イスラエル王国のダビデ王は羊飼いでした。ですからもともと羊飼いは卑賤な職業ではなかったはずです。旧約聖書の預言書を見ても神が羊飼いで民が羊にたとえられています。でも、農耕文化が定着してくると人々にとっては収入が安定している定住農家の方の信用信頼がたかまりました。住所不定、収入不安定の羊飼いの社会的立場は低くされてきました。
紀元前4~5世紀頃からメシアを待望する思想が生まれます。まさか、数百年も待ったメシア(キリスト)がベツレヘム(ダビデの町と呼ばれる)の馬小屋に生まれるとはにわかに信じがたいことでした。そしてその福音(良き知らせ)も当時一番蔑まれた羊飼いたちに最初に知らされたのです。でもどんなにこの羊飼いたちにとっては嬉しかったでしょうか。ですからこの言葉が出たのでしょう。

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