園長先生のコラム

♪ コラム 【 2012年2月号 】 責任をとること

先日、イタリアの豪華客船「コスタ・コンコルデァ」が座礁事故を起こしたことが、報道されました。
その内容におよそ日本では考えられないような船長の行動に驚かされました。
もちろんイタリアでは赦されるというものでもないとは思いますが、今日現在自宅に帰ることができていることに不思議を感じます。
報道によるとこの船長、本来の航海計画の進路から大きく外れ、危険海域を航行し揚句に12万トンの巨船を座礁させ、多くの死傷者、行方不明者等を出す大事故を引き起しました。
これだけでもその過失の重大性は万死に値するものと思うのですが、船長としての当然の職責をはたすどころか、その人間性まで疑うような行動に出たそうです。
つまり、事故後乗客乗員の生命と財産を守る責任を放棄し、真っ先に下船してしまったそうです。
さらには、指揮官を失った船というより、こんな指揮官の下でいた乗組員たちの責任感もそんな程度でしょうから、当然船内はパニックになり、避難誘導するものなく誰もが我先に脱出しようと救命ボートへ向かいます。
ところがあきれたことにボート中は船のスタッフが大勢いたそうです。

もしこれが日本で起こったとすれば、どう罰せられるのでしょう。
法律的には、船員法第11条の「在船義務」違反に問われることになるといわれます。逃げただけなら30万円以下の罰金です。幸い、日本ではそんな無責任な事例は皆無だそうです。
今回の事故は多数の死者や行方不明者を出しているし、環境破壊まで招く恐れもあるなど多くの罪が重なるでしょうから、逃げた責任の重さを本人と関係者は本当に自覚反省してもらいたいものです。

イエスさまの一番弟子のペテロ(漁船の船長)は、イエスさまが捕まったとき「イエスなんて知らない」と3度も否定し、無責任にも逃げました。
しかしその後ペテロや他の弟子たちも心から反省し勇敢に殉教してゆきました。
今回の海難事故は、カトリックの聖地イタリアの船で起こった悲しい出来事ですが、キリスト教的責任感倫理観をもった解決を期待するものです。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。 」
新改訳聖書 イザヤ書41章10節

紀元前587年バビロニア王ネブカデネツァルのユダ侵攻(この時代には北イスラエルはめつぼうしていた。
南ユダ王国だけが存在していた)によってダビデ以来王国の首都であり、ソロモン以来神殿の所在地であったエルサレムとそれを囲むユダとは滅亡し、王ゼデキアはじめ重だった者たちは、バビロニアに捕えられ移住させられたのです。
これがバビロン捕囚です。
その後四半世紀えんえんとネブカドネツァル王の圧政は続くわけですが、彼の死後帝国の勢いは衰えてゆきます。
そして、今月のみ言葉、新興ペルシャの勢いが増してゆく中、「第2イザヤ」と言われる預言者の励ましの言葉が与えられます。
「恐れるな」という言葉がこの章には何度も出てきます。
「あなた」と単数形にてあらわされていますが、もちろんユダヤ民族すべてに告げられた預言です。
そして実際に預言通りに、紀元前539年ペルシャのクロス王にユダヤの民は解放されます。
捕囚民は帰国を許されたのです。

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