園長先生のコラム

♪ コラム 【 2015年1月号 】 「 報復は私のすることである 」

愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる
                     ~ ローマの信徒への手紙12章19節 ~

パキスタンのペシャワルにあるパキスタン軍の学校が「パキスタン・タリバン運動」のテロの標的に遭い140人もの先生と生徒が殺される事件が起こりました。
平和の君イエスさまのご降誕を待ち望む季節に行われたのです。
「パキスタン・タリバン運動」というのは、今年ノーベル平和賞を受賞したマララさんを銃撃したテロ集団と聞きます。
犯行声明では、「アフガン国境地帯の北ワジリスタン管区でパキスタン軍が実施しているタリバン掃討作戦への「報復」ということらしいです。

「神がそれをお望みである」と誰が知りえるのでしょうか?
アラーの神は多くの子どもたちが一番安全であるはずの学校で殺されることをお望みなのでしょうか?
上記の聖句はイスラム教の成立以前ですが、イスラム教と共通理解のある旧約聖書中の言葉です。
申命記32章35節の言葉「わたしが報復し、報いをする」から引用してイエス・キリストの使徒聖パウロがキリスト教信者の生活の規範としてしたためた手紙の中の一節です。

血で血を洗う、復讐の連鎖では決して真の平和は得ることはできないと思います。
日本仏教「浄土宗」の開祖である法然上人の父君は人の恨みをかって襲われます。
息を引き取る間際に法然に「決して復讐してはならない。恨みはらせば、また恨みを得る。お前は出家して菩提を弔って欲しい」と言ったと聞きます。
法然は父君の遺言を守って立派な宗教家になったのでしょう。

また、シドニーではイスラム国の戦士と名乗る男がカフェで人質をとって立てこもり挙句は警官隊が突入して銃撃戦となって人質の方が2人亡くなりました。
一人はカフェの店長だそうです。
彼は勇敢に犯人の銃を奪おうとして撃たれました。でもこの間に多くの人質が脱出に成功したのです。
またもう一人は女性の弁護士の方、彼女は銃撃戦となったとき妊婦の友人をかばって銃弾を受けたそうです。彼女にも子どもさんがいたそうです。

神さまがのぞむ生き方(死に方ともいえます)はどちらなのでしょう。
「神の名のもとの報復でしょうか」
「友のために命を投げ出すことでしょうか」
来る2015年がみ心に叶ったすばらしい年でありますようにお祈りしたいと思います。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」
~詩篇133編1節~

知恵の歌といわれ、元来は同一の神を信仰する同胞が共に生きる喜びを歌った日常の詩が、加筆・修正を受けて、巡礼歌集に編入されたと思われます。
ここでいう兄弟とは親を同じくする兄弟、大家族としての男性構成員、同一契約に属する盟友、同一身分・職業に属するものなどを意味していると思われます。
この箇所ではヤーウェ(旧約聖書時代からの神の名)契約共同体(宗教として成立以前)に属する民の長老と考えられます。

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