園長先生のコラム

♪ コラム 【 2014年7月号 】 「 国際と民際 」

サッカーの「ワールドカップ」がブラジルで開催されています。
残念ながら日本のチームは予選で敗退してしまいました。
決勝トーナメントには出場できなかったものの多くの感動を世界に発進してくれました。
特にサポーターのゴミ拾いの姿にはスポーツの世界的祭典に日本のひとつの美しいマナーの姿をアッピールすることができました。
このような姿は日本という国がそのような国策を行っているということではなく、サッカーを愛する日本の人々はこのようなマナーを当たり前の行為として認識する文化を有しているということなのでしょう。

アジアや東南アジアの多くの国からたくさんの学生が毎年日本の大学や大学院、専門学校に留学にやってきています。
「京都民際日本語学校」という大学や大学院を受験準備するため日本語を勉強する学校があります。
実は僕はその学校の学生のうち優秀にもかかわらず経済的に就学困難な学生を支援するための後援会の会長をしています。

国際という言葉は国という概念が前面に出ています。
つまり国と国の際を越えてあるいは跨って関わってゆくことを国際的という意味をさすと思います。
それに対し、国という組織より、民があるいは民族が際を越えてゆく、民や民間、民族が、つまり人々がその際を越えての繋がりを持ってゆくという概念があります。
民際ということばです。
「京都民際日本語学校」の民際とはそのような意味から友人の山本正道初代校長が命名したとききました。
国際的に国どうしが問題があったとしても、民際的な意味で交流を続けることによってその国際問題を解決してゆくことができれば素敵なことであると思います。
サッカーの「ワールドカップ」は国際的試合ではありますが、一方民際的交流ともいえます。

同じ民族であっても、言葉が同じであっても国が分断されていることもあります。
世界中の国や地域が、国際的にも民際的にも平和で仲良く不安なく幸せな安定した生活ができるときがくるように祈念して止みません。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」
新共同訳  マルコによる福音書10章14節

大人になると知恵がつき、どのような言動をするのが自分にとって有利に働くかを考えるようになります。
でも子どものころはある意味において純粋に愛する人の言う事を受け入れ行動するといえます。
誰でも子どものような心でイエスさまに近づきなさいということなのでしょうね。

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