園長先生のコラム

♪ コラム 【 2013年9月号 】 「 今年の夏休みの思い出 」

今日から2学期が始まりました。
夏休みの思い出をお土産に子どもたちが元気に幼稚園に帰ってきました。
今年の夏休みは猛烈に暑かったというのが一番の印象ですが、僕には痛~い夏休みの思い出になりました。

小学校5年生のとき鉄棒で遊んでいて転落、鉄棒に前歯をぶつけて、1本は抜け落ち、もう1本は欠けるという大怪我をしてしまいました。家に帰ってから何があったかを母に話し、歯医者さんにつれていってもらいました。
抜けた歯は時間が経ち過ぎていたので移植することができませんでした。
今では考えられないような学校の対応なのですが、当時は「給食食べれるか」だけでした。事故の翌日「門脇、先生は昨日『家に帰るか』って訊いたよな?」ってまるで自分には責任ないよと言わんばかりの質問には僕も唖然として返事もしなかったのを覚えています。
成長期の前歯の欠損を治療するのは当時でもかなり技術的に難しいことだったのでしょう。また、今のようにセラミックや強化プラスティックのような材質もなかったからか、銀製ブリッジで固定した差し歯を作ってもらいました。
それでも、たいした費用がかかったと思います。ただ、その時から僕は人から「銀歯」だの「光る出歯」と言われ悔しい思いをしてきました。
究極的には先生から「おい、そこの銀歯」と言われついかっとなり「何か用か、そこのハゲ」と返して、漫画の世界でした。
青春時代は、「中身こそが大事なのだ」と励まし生きながらも口元の劣等感からくるストレスと心の底から湧き上がって来る暴力的衝動との戦いの連続でした。おかげで、「人を外見的特徴でとらえてみること」はしないように心掛けることができるようになりました。また、言葉によって人はどんなに傷つくかを知ることができました。
妻は、「銀歯の出歯」が好きだったわけでもないでしょうし、「中身が好き」だったのかも知れませんが僕と結婚してくれました。
2人目の子どもができた頃、和歌山医科大学の歯科口腔外科教授が執刀して当時の最新の技術で新しい義歯を形成してくれました。そして今夏その歯ともさよならする時が来たのです。話(歯無)が長くなったのですが、この夏休みにその前歯をすっかり入れ替えることになりました。でも最新の医療技術でもってしても少しは痛かったです。

ある日、隣りで治療している少年と先生の会話が聞こえてきました。
「痛い。もう帰る~」「痛くないよ。痛くない。もうすぐ終わるよ」
「先生は、痛くないだろうけど。僕がいたいの~」
「でも、虫歯ほっといても治らないよ」
「・・・」
隣りの彼も「痛い夏休みの思い出」ができたかな。

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・・ 聖句と今月のみことば ・・

「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」
旧約聖書レビ記19章18節

この聖句は、ユダヤ教とキリスト教に共通する最も重要な掟である「モーセの十戒」と同様にユダヤ教、キリスト教を通して最高の教えとされています。ユダヤ教からさらにイエスさまがどこまでを「隣人」とするかという問題を解決したところにそのすばらしさを感じるのです。
つまり、イエスさまは「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」マタイ10:35等と言われているからです。
つまり隣人とは「自分に関わるすべての人びと」と言うことになります。
今月の聖句を言い換えるならば「自分自身を愛するようにすべての人びとを愛しなさい」となるわけです。

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